イタリアに行ってきました。旅行記更新中。
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    果てのない内面の宇宙
     
    もともと好きで、ちまちまと読んでいたランボーを、卒論に登場させるかもしれないということで、最初から読み直している。

    美しくて、ずきゅんとやられた一節を紹介させてください。


    Tu surgiras, jetant sur le vaste Univers
    L'amour infini dans un infini sourire!
    Le Monde vibrera comme une immense lyre
    Dans le frémissement d'un immense baiser!
      
           ( SOLEIL ET CHAIR / Arthur Rimbaud )

    あなたは立ち現れるだろう 尽きない微笑をたたえて
    無限の愛を広大な宇宙に注ぎながら
    世界ははてしのない接吻に身をふるわせて
    巨大な竪琴のように響き渡るだろう

              (太陽と肉体 / ランボー 訳:宇佐美斉)


    なにが、とは具体的に言えないけれど、でもすごく綺麗。
    世界が響く、というその壮大さ。音楽性。美しさ。

    気が遠くなるほどの壮大な情景が思い浮かぶ。
    と同時に、それは彼の内面に立ち現れる奥行きのある世界でもあるんだろうな。
    精神の広がり、とでもいいますか。

    ランボーは、心に響く。
    人間味があるというか、肉体に包まれていない魂そのものがぶつかってくる、みたいなイメージ。
    でもものすごく繊細で、壊れちゃいそうな。
    だからこそ、わたしのキャパシティ的に研究対象にするのは難しいのかなと思って。
    そして、心に響きすぎるから、冷静に分析することなんてできない気がしてたんです。

    でも縁あってか、結局研究テーマとの関連性から、少しだけ登場してもらうことになった。
    やはり好きな詩人を扱えるというのはうれしいことなので、できる限りがんばって考察してみようと思う。
    教授にも「卒論、素敵な方向に向かいそうで、楽しみです」と言ってもらえたので、がんばる。



    ランボーの詩は、他にも大好きなものがたくさんあるので、このブログにまた登場してもらうつもりです。

    よろしくお付き合いくださいね。
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      文学 / comments(0) / trackbacks(0) / ひー /
      運命の裏側
       
      前回のゼミでのお話。

      扱ったテーマは、メーテルリンクの『ペレアスとメリザンド』という作品。

      その作品の中にね、こういう文章があったの。

      Cela nous semble étrange, parce que nous ne voyons jamais que l'envers des destinée.
      (我々にとってそのできごとは奇妙に感じるが、それは我々が運命の裏側だけしか見ていないからだ。)

      ここで、気になる点がひとつ。

      l'envers des destinée(運命の裏側) しか見ていない

      という点。

      なぜ、裏なんだろう。表じゃなくて?

      私にとっては、運命の表、つまり運命の表面的な部分しか見れない、って言う方がしっくりくる気がして。
      ずっと引っかかってた。

      「ただ単に、日本人の裏表の感覚と、欧米のそれが逆なのかもしれない」
      「裏から見ると歪んで見えるものがあるから、そういう意味で、運命を歪んだ形でしかとらえられないと言いたいのかもしれない」

      という意見が出る中で、すごーくすんなり納得できる意見が出た。

      「私たちが運命という枠のようなものの中にいるとしたら、その中にいる私たちから見る運命は、裏側だけ。外にいる、その運命という枠を作った全知の神(的な存在)にしか表側は見えないのでは。」

      メーテルリンクは、運命を何者にも抗えないものとして捉えていたという。

      彼にとって、運命は我々が抜け出すことのできない箱庭。

      だとしたら。その中にいる人にとっては、運命の裏側しか見えないことになる。
      運命の全容を知っているのは、全知の神だけなのである。

      ここの表現に、メーテルリンクの運命観のようなものを垣間見ることができる気がした。



      このゼミに入ってから、普通に読んでいたら何気なく見過ごすような部分に注目して作品を読むようになった。

      そんな些細な部分から、作者の意図や、作品を通して訴えたかったことを読み取ることができる。

      そこが、文学研究のおもしろいところなのかなと。



      1年前の私にとっては、文学研究はものすごく感覚的なものという印象だった。
      でも実際は、文章ひとつひとつの言い回しや単語の選び方・使い方に立脚した、綿密な分析→仮説が必要な学問なのだ。
      それと同時に、時代や社会性というのが作家や作品全体に与えた影響も考慮しなくてはならない。

      ミクロな視点とマクロな視点、両方を組み合わせた研究がいいのだ、とよく教授がおっしゃっているが、その意味が少しずつわかってきたような気がする。



      もともと文学に興味なくて、文化と絵画がやりたかった1年前の私からは想像できないほど、文学漬けな日々。

      文学作品、そしてその文章ひとつひとつによって、作家の想いとか社会思想を読み解けるのが、文学研究の魅力だなと思う。

      そんな魅力に気付けてよかった。

      もっとたくさんの文に触れて、もっといろいろな世界を覗いてみたい。
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